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─5─ 凶報

Author: 内藤晴人
last update Last Updated: 2025-07-12 20:30:00

 顔を上げ、そこに立っていた人物を目にするなり、シグマは豆鉄砲を食らった鳩のように飛び上がり、まるでバネ仕掛けの人形のような所作で埃の積もった床にひれ伏した。

 その様子に振り返ったユノーも、同様に慌ててひざまずく。

 迎えられた側は不機嫌そうな表情を浮かべて赤茶色の髪をかきあげると、後ろ手で扉を閉めながら言った。

「やめないか。ここは公の場所じゃない。第一これじゃ、まともに話せないじゃないか」

 果たしてこのやり取りを幾度繰り返しただろうか。

 ようやく皇帝の妹姫ミレダ・ルウツの人となりを理解してきたユノーは、軽く会釈を返した。

 が、さすがに自分が目下の身分であることに変わりはないので、礼を示すため机の脇に起立する。

 が、シグマはそうはいかなかった。

 初めて目の前にする雲上人に、がちがちに固まったままである。

 思えば騎士籍を取り戻したときの自分もそうだった。

 過去の姿をシグマに重ね合わせて、ユノーは自らの複雑な運命に思いを馳せた。

 一方のミレダはそんな両者に呆れたように大きく息をつく。

 そして、すいとユノーに視線を転じた。

 向けられてくる青緑色の瞳に何やら不穏な光を感じたユノーは、恐る恐る口を開く。

「……何か、あったのですか?」

 問いかけるユノーの声は、いつになく硬い。

 何事かとシグマはようやく埃のついたままの顔を上げる。

 そんな二人の視線を受けるミレダの顔は、わずかに青ざめているようだった。

 ユノーの脳裏に、よからぬ言葉が浮かぶ。

 程なくしてそれは、音声となってミレダの口から投げかけられた。

「今日、御前議会が開かれて。……出兵が決まった」

 瞬間、室内の気温がすっと下がったような気がして、ユノーはわずかに身震いした。

 最悪の現実を突き付けられて、情けなくも何の言葉も出てこない。

 果たしてかたわらのシグマの表情も、いつしか真剣な物へと変わっている。

「では……その時期は、いつ頃と定まったのでしょうか?」

 さ
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